PLAYBOYクラブ

1960年2月、ヒューMヘフナーは、シカゴに”大人のディズニーランド(ニューズウィークの記事より)”と呼ばれるPLAYBOYクラブを開設します。ここでウエイトレスの衣装として企画採用されたのがバニーガールスタイルです。当初の企画としては、セクシーなナイトガウンをウエイトレスが羽織るという案もあったようですが、PLAYBOY=うさぎということで幾つかの思考錯誤の結果、バニーガールのバニーコートの原型が生まれました。

PLAYBOYクラブは、PLAYBOY誌が提唱する価値観と世界観を実際に体験できる場所(酒と食事を楽しみ、ライブのエンターテイメントとバニーガール)として生まれました。その結果、多くの人々を魅了して会員はたった1年で5万人を有し、世界中にクラブを増やして行きました。

結局、PLAYBOY=うさぎ の図式の選択枝から、女性コンパニオンのコスチュームとしてバニーガールが生まれた訳ですが、バニースタイルのコンパニオンをどのような場面で活用したかというのもPLAYBOYが先駆者です。”クラブの看板娘(PLAYBOY本誌のイメージキャラクタではなかった。それはプレイメイト達が存在したから。)”、”お客様をエスコート”、”飲食における接客全般”、” ショーの司会・アシスタント”などバニーガールが現在活躍するほとんどの形態が実現されているのです。

PLAYBOYクラブでバニーガールの様々な活躍をみた人々が”バニーガール=大人のエンターテイメント”に欠かせない重要なコンパニオンとして認識し、”バニーガール”という文化が世界中に広がったと考えてもいいのではないでしょうか?エンターテイメントだけではなくコスチュームとして”耳のついたカチューシャを着ければバニーガール”、”ワンピース水着の様なバニーコートを身に着ければバニーガール”というアレンジもPLAYBOYが積極的にしかけてゆきました。

バニーガール文化が広まり定着したのは1960年代〜1970年代のことでした。

Aus.